第二の人生、気ままに生きる

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『住友を破壊した男 伊庭貞剛伝』江上剛(PHP研究所)

住友を破壊した男 伊庭貞剛伝

日本三大財閥(三菱、三井、住友)の一つ、住友の中興の祖である伊庭貞剛(いばていごう)の生涯を描いています。
幕末から明治維新にかけて、貞剛は国のために働こうとしましたが、戦場に出る機会に恵まれず、明治政府の下で司法の道に進みます。その後、叔父の住友の初代総理事広瀬宰平に誘われ住友に入所することになります。
広瀬は、別子銅山の売却を阻止し、住友の繁栄の基礎を作った英雄でした。しかし、徐々に独裁専制が強まっていき、煙害の対応も保証金で解決しようとする強引なものでした。
貞剛は、住友の中興の祖として、人間として尊敬する叔父の広瀬に対して、引退を迫ることとなります。
貞剛は、煙害と樹木の伐採ではげ山となった別子銅山に歩いて登り、職人たちと社員とのコミュニケーションを円滑化することからはじめ、精錬所を無人島に統合することを目指していきます。
あくまでも、保証金で解決を図ろうとする広瀬を引退させ、二代目総理事に就任することとなり、大規模な植林事業をはじめ緑の山をよみがえらせる事業をはじめるのでした。
その物語を通じて、いろいろな学びがありました。
特に身の引き方が鮮やかで「事業の進歩発展に最も害するものは若者の失策ではなく老人の跋扈(ばっこ)である」とし、58歳で後継に道をゆずります。また、人はよく、後を継ぐ者を選ぶとき、自分と同等かやや器の小さい者に継がせたがるが、むしろ、粗削りでも自分より器が大きく、自分と反対のタイプにゆずるべきということです。
物足りない部分があって、多少の失策を犯す心配があっても、老人の跋扈よりは害が少ないだろうというのです。
現在にも通じる考え方で、昔から、大きな事業を手掛ける器のある人はちがうなと思いました。

住友を破壊した男 伊庭貞剛伝

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